心とカラダの健康メソッド

心身の健康、毎日楽しい日々を過ごすために食生活や元気になる言葉、人間科学・医学要素も取り入れた記事を載せていきます。

サードプレイスならぬ発展性のある第3コミュニティが日本人には必要だと思う

「サードプレイス」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

家庭でも職場でもない第3の自分の居場所。私は世界各国の中でも特に現代を生きる日本人に必要だと思っています。 

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サードプレイスの定義は日本では受け取られない

アメリカの社会学者であるレイ・オルデンバーグさんが言うサードプレイスの定義には

  • 集まる人たちはそこに会話や交流をしに来る
  • 地位や名誉など関係なく、どんな人でもフラットに話しができる
  • 派手、おしゃれな感じではなく、家庭的で暖かい場所

などを含む8つの要素があるそうです。

どういう場所がサードプレイスになり得るかというと、カフェ、バー、公園などが多いのですが、どーも日本人にはこの定義はそぐわないんじゃないかなと思うんです。

「その場にたまたま居合わせた人とフラットに楽しく会話をする、しかもその時間がお互いにとって、とても暖かい場・時間となる」ということが多くの日本人には難しいんです。

寛容さの低い日本人

2019年の「世界幸福度ランキング」が発表されました(信憑性の有無は置いておきます)が、日本は58位でした。先進国としてはかなり低い位置なんです。その足を引っ張ったのは「寛容さ(92位)」だとも言われています。

寛容=心が寛大。人を受け入れる。失敗を咎めず、許すこと。

こういった意味があります。

そうかな⁈そんなに日本人に寛容さが足りないとは感じないけど?

という人も多いんじゃないでしょうか。それもそのはず。日本人は同質の中に生き、同質を大事にする民族だからです。

価値観の違う者の排除=寛容ではない

日本人の多くは外資系や国際交流的なものに触れない限り異国民と触れ合うことがありません。日本在住の外国人は増えてきたものの、学生時代から異国の同級生がいるというのはほとんどないと思います。

小さな頃から単一民族の集団で育ち、同じような教育を受けてきた私たちは、比較的同等の価値感を持っているのです。

そして、その価値感から外れる者が出てくると「排除」という形を取ってしまう…。

私の学生の頃、そう言った人達は「無視」され、大人になっては様々なハラスメントの対象とされています。

ネット社会でも思想の異なる者同士の言葉の争いが飛び交っている。

こうした「価値観が違う者に対する排除」は現代の日本社会で始まったことではないです。

昔は障害者に対する差別はとても強かった。親からも良くない教えを受けたことがあります。大人の観が間違ってるんです。

 

宗教に所属している人への差別もあります。

おかしいのは初詣や七五三、お葬式…全て仏教や神道という日本に長らく存在する宗教に属するものなのに、これに対する嫌悪感はほとんどの人が持ち合わせていません。それなのに、キリスト教やイスラム教、信仰宗教に対する嫌悪感を持つ人は非常に多いです。(日本人の宗教感には別の記事で詳しく触れたいと思います)

 

女性差別もなかなか改善されてこなかったです。今でも感じる女性は多いと聞きます。日本は既存文化風習の悪性を変えるのが遅いんです。

 

意見の強い中心者に考えを合わせてコミュニティが形成されることも多く、中心者との価値観から外れた者は排除されていきます。

仕事、ママ友、子ども社会…全てそうです。自分の価値観を育てられていない。留学してカルチャーショックを受けるのもこの辺りが一要因と言えます。

日本では定義が変わってしまったサードプレイス

ここまで、日本人の寛容さの低さをお話ししました。さて、本題(ズレそうになった汗) です。

寛容さの低い日本人にとってレイ・オールデンバーグさんの推奨するサードプレイスというのは、ストレスにしかならない可能性が高い訳です。

そもそも強制的でない真のサードプレイスは受け入れられないでしょう。だから、サードプレイスの意味が日本では変わってきている訳です。

日本人は、落ち着けるサードプレイスとしてカフェや公園を選んでいます。人との交流目的ではありません。自分時間の確保のためです。こういったサードプレイスとしての利用は日本人に合っていると思います。

発展性のある第3コミュニティから日本社会を変える

もう一つ、日本人に必要なのは第3コミュニティなんだと思います。ただし、私が言いたいのは「発展性のある第3コミュニティに所属しよう!」ということです。

自分と価値観の合う仲間とは触れ合いたいのが日本人です。しかし、それだけで終わってしまうと、鎖国国家と何も変わらないんです。日本は外来文化を取り入れて行くことで大きく変革してきました。勢いがありました。しかし、現代日本の進展の低さを危惧する人は多いです。それは自分達で外壁を建築しているからではないでしょうか。

自分の価値観に合いつつも、常に新しい考えや物事を取り入れながら膨らんでいくコミュニティ形成というのが日本の課題のように思えます。

 

うちわだけでは何も変わらないです。手を差し伸べてくれるコミュニティ、自分の世界感を広げてくれるコミュニティ、次々と様々な価値観と出会えるコミュニティです。

そして、いつしか寛容さの高い日本が出来上がるか…な⁈